2014年6月4日水曜日

義母のこと

夫と結婚する時は「家族親戚が増える!なんだか楽しそう!!」とわくわくしたものだったが、夫の姉一家も義母もバンコクにいるせいか、実際この14年間で交流したのは数えるほど。電話でみんなと話すこともあったが、何しろ私のタイ語が一向に上達しないので
いつも挨拶程度で終わる。義母と話した時などは、あまりに会話が成立しなくて申し訳ないほど。80歳を超えてからは私のこともよくわからず「なにか外人の嫁」くらいの認識だったと思う。

そんな義母が去年他界した。近年は入退院を繰り返していて、夫が訪ねても誰か思い出すのに時間がかかったという。慎ましく物静かな人だったが、義姉に経済力があるので私立病院に入院したり、義姉宅でもお手伝いさんに介護をしてもらっていた。

私たちは商売柄2人で一緒に家を空けることができないので、夫だけがバンコクへ飛んだ。
葬儀はけっこう盛大なもので参列者も多かったという。写真をみたら夫のプーケットの友人もいた。大学生の甥ほか親族の男の子たち数人は、喪に服すため頭をきれいに丸めていた。タイ仏教徒の習慣だという。

帰宅した夫が私にアルバムをみせながら葬儀の解説をする。
「これがまだ田舎に住んでる親戚、これが義兄の取引先で…」 
参列者の多くが義姉夫婦の関係者らしい。
「で、これがボクの義理の弟と妹。初めて会ったんだけどね…」
指差す先には年齢が私ほどの男女がいた。どことなく夫や義姉に似ているな…とは思ったが、まさかの異母きょうだい。しかも夫と初対面て!

夫の父親は50代で亡くなったと聞いていたが、まぁ色々あったようだ。いくら懐の深いタイでも父親の前妻(私の義母)の葬儀に行くのは珍しいはず。お互いバンコク在住ということで、彼らと連絡を取り合っていた義姉が呼んだのだった。

最後に物静かな義母からは想像もつかないサプライズが飛び出したわけだが、何はともあれ、長い人生で関わった人たち大勢に見送られ喜んでいると思う。

母親の死でひどく気落ちした我が夫だったが、思いがけず弟と妹に会えたことは嬉しいようだ。控えめながら常にひとり息子(我が夫)のことを心配していた義母だったので、これも義母の小さなはからいかもしれない。もうすぐ一周忌。
今年は私もバンコクにお参りに行こうと思う。

タイの葬式と医療費

この年末年始は、なんと立て続けに2件のお葬式に参列することになってしまった。タイでお葬式に行ったのは在島14年目にして初めてである。

最初のお葬式はクリスマス前。友人(タイ人)の旦那さん(イギリス人)が亡くなった。世界を飛び回る忙しい旦那さんだったが、やっとリタイアして奥さんとのんびりし始めた矢先。体調に異変が起きて
からわずか1ヶ月だったという。

次のお葬式は年明け間もなく。14年来の知人の奥さん(タイ人)が永眠された。ICUに入院中の1年半、ほとんど意識はなかったという。先のイギリス紳士の訃報を知らせてくれたのが、この知人だっ
たのがなんとも切ない。

タイのお葬式は想像通り、あまり形式ばったものではなく、和やかな雰囲気さえ漂っていた。お焼香はお線香で、懐かしい顔も多く、軽食をいただきながら話がはずんだりした。イギリス紳士の葬儀には、管弦楽団やロックバンドが日替わりで演奏に来た。音楽好きな旦那さんのために奥さんが手配したものだ。

年明けの葬儀のほうは、地元の有力者なだけあって寺院内の会場は溢れんばかりの人で埋まった。最愛の奥さんを亡くしたばかりの知人を見た時はさすがに胸がつまったが、会場にしんみりした雰囲気はなく、喪主も各テーブルをまわりながらジョークを飛ばすほど。仮設テントの下、読経の時間以外は終始こんな感じだった。

いずれのお葬式でも、私の周りでは医療費がちょっとした話題となった。当事者も開けっぴろげなもので、イギリス紳士の奥さんは1ヶ月でいくらかかったかその驚愕の内訳について力説。初老の西洋人夫を持つ奥さんたちは真剣に聞き入っていた。ある人の夫(西洋人)が意識不明で3年以上入院し、お会計がなんと1億円にのぼったという話も飛び出して、みんなで震えた。

祭壇を前に下世話な話で盛り上がるなど不謹慎なようでどきどきしたが、これも自然体でタイらしいのかもしれない。足元では寺犬が寝そべり、夜空には月が浮かぶ。「死」とは日常の延長であるこ
とを再確認した。