本格的な観光シーズンを迎えたプーケット、一気に観光客が増えて島に活気が 満ちてきた。しかし、人が集まるところには悪い人たちも寄ってくるのが世の常。 さっそく先日はプーケットいちの歓楽街パトンで、ニセ僧侶の2人組が逮捕された。 タイ中部出身の2人(33歳、49歳)は、日中コンビニの前に立って道ゆく人たちに 現金の施しを乞うていた。姿こそ仏僧のシンボル、黄色い袈裟だったが、 邪気がにじみ出ていたのだろう、地元の警察中佐に見破られた。 パトン署で所持品の検査を受けると、4000バーツほどの現金、予備の袈裟、 コンドームなどが出てきたという。 僧侶の資格証明は持参しておらず、 地元の寺の高僧が確認のために呼ばれたところで自白に至った。 調べによると、この2人は今年8月にもホアヒンで捕まっていた。 さらに、うち1人には過去に麻薬乱用の逮捕歴もあったというからしょうもない。 警察中佐はペテンを見抜くコツとして、 「本物の僧侶は道端で現金のお布施など乞わない。資格証明も持参している」 と説明、 「こうしたニセ僧侶のせいで仏教のイメージが傷つくのは非常に遺憾。 不審な僧侶をみかけたら通報してほしい」と市民に協力を呼びかけている。 国内外の観光客であふれるこの時期、 プーケット島はちょっとした浮かれモードに突入する。 そこに付け入るように詐欺を働くやつらは、やはり今年も多いのだろうな。
プーケット在住12年。犬猫に囲まれて南国インドアライフ満喫中のぷけ嫁さんが紹介するタイの生活や習慣。このブログはプーケット情報サイト&マガジン・プーケットウォークから毎月25日に配信されるメールマガジンに掲載されたものです。
2014年12月3日水曜日
ニセモノ注意!
2014年9月30日火曜日
久々の病院
先月、風邪をこじらせたので約1年ぶりに病院へかかった。 ちょっとしたことであれば近所の薬局に症状を伝えて抗生剤などの薬を 出してもらうのだが、今回は咳がひどかったため特別だ。 いつもなら市内の2大私立総合病院へ行くところだが、近所に新しく立派な病院が できたので視察を兼ねてそっちに行ってみた。既にオープンしているものの、 予想通り建物内は一部工事中。タイでよくある「ソフトオープン」というやつだ。 でも、受け付けには英語堪能なスタッフが数人いて一安心である。 保険の有無は聞かれなかったので事務的な処理がまだ整備されていないのだろう、 今回保険は気にしないことにした。 自己負担100%だが風邪程度なので料金の予想はつく。 しばらくして2階の診察室で受診となった。肺炎の不安をうったえると 「X線撮りますか」とドクター。料金は300バーツだというのでお願いした。 ピカピカの病院にしては意外とリーズナブルではないか。 X線ルームで撮影を終え再び診てもらうと、肺に影はないという。 薬をいくつも出してもらい、お会計1600バーツ。 保険はないし風邪ぐらいで高いとは思うけど、 まぁ想定内であった。 いっぽう、費用の予測が難しいのが動物病院だ。 先日、友人の飼っている小型犬が突然体調をくずし、夜間の救急病院へかかった。 血液検査に酸素室、超音波に注射2本、X線など、2日間通って 費用は計6000バーツ也。ちなみにX線だけで約1000バーツだったという。 人間様の3倍以上!友人は、 「あら、人間は安く済んでいいわね」と笑っていた。あはは、ほんとうに… そろそろこの国にもペット保険が登場するかもしれないな。
2014年8月1日金曜日
出家の季節
7月に入って2人の知人から「仏門に入ります」という通知がきた。仏教の入安居にあたるこの時期は、毎年こうして友人知人の誰かしらから出家のお知らせ、つまり「出家の儀式への招待状」が届く。雨季の風物詩だ。 タイの男性は、仏教徒であれば一生に一度、短期間でも必ず仏門に入ると言われている。一般的に社会人になる前の出家が多いのは、親孝行の意味が強いから。出家の儀式は成人式のようなものかもしれない。 だから、とっくに成人した男性が仏門に入るというと何か違和感を覚える。 以前、日本で不法滞在して強制送還となった知人(30代)が、タイに戻ってすぐさま仏門に入った。別の知人(40代)は、なかなかエゲツない商売で一儲けしたと思ったら突然仏門入りした。私の周りはこんなだから、今回の2人も「何かしたのか。みそぎだな?」と勘ぐってしまう。 ちなみに、ひとりは24歳。学生時代はヤンチャで両親を泣かせていただけに、今回の出家はまさに最大の親孝行となる。少し遅い成人式かな。お母さんが泣いて喜ぶ様子が目に浮かぶ。 もうひとりは50代。ギャンブル好きで生き方は刹那的、奥さんに愛想を尽かされた男。50代の彼については、どうしても出家の儀式の招待状が集金袋にしか見えなくて困ってしまう。しかも、出家期間は1週間… 。まぁ、現代の社会人はそう長くこもっていられないだろうけど。 こうして、どこかすっきりしない中高年の出家だが、世間はとても寛大だ。 我が夫も友の出家を祝福している。お財布が寂しい雨季に予定外の出費ときて、ついつい不機嫌になってしまう自分が、ものすごく偏狭に思えて悲しい。 在タイ14年、見た目こそすっかり現地に溶け込んでいる私だが、まだまだ内面まで同化するには至らないようだ。
2014年6月4日水曜日
義母のこと
夫と結婚する時は「家族親戚が増える!なんだか楽しそう!!」とわくわくしたものだったが、夫の姉一家も義母もバンコクにいるせいか、実際この14年間で交流したのは数えるほど。電話でみんなと話すこともあったが、何しろ私のタイ語が一向に上達しないので いつも挨拶程度で終わる。義母と話した時などは、あまりに会話が成立しなくて申し訳ないほど。80歳を超えてからは私のこともよくわからず「なにか外人の嫁」くらいの認識だったと思う。 そんな義母が去年他界した。近年は入退院を繰り返していて、夫が訪ねても誰か思い出すのに時間がかかったという。慎ましく物静かな人だったが、義姉に経済力があるので私立病院に入院したり、義姉宅でもお手伝いさんに介護をしてもらっていた。 私たちは商売柄2人で一緒に家を空けることができないので、夫だけがバンコクへ飛んだ。 葬儀はけっこう盛大なもので参列者も多かったという。写真をみたら夫のプーケットの友人もいた。大学生の甥ほか親族の男の子たち数人は、喪に服すため頭をきれいに丸めていた。タイ仏教徒の習慣だという。 帰宅した夫が私にアルバムをみせながら葬儀の解説をする。 「これがまだ田舎に住んでる親戚、これが義兄の取引先で…」 参列者の多くが義姉夫婦の関係者らしい。 「で、これがボクの義理の弟と妹。初めて会ったんだけどね…」 指差す先には年齢が私ほどの男女がいた。どことなく夫や義姉に似ているな…とは思ったが、まさかの異母きょうだい。しかも夫と初対面て! 夫の父親は50代で亡くなったと聞いていたが、まぁ色々あったようだ。いくら懐の深いタイでも父親の前妻(私の義母)の葬儀に行くのは珍しいはず。お互いバンコク在住ということで、彼らと連絡を取り合っていた義姉が呼んだのだった。 最後に物静かな義母からは想像もつかないサプライズが飛び出したわけだが、何はともあれ、長い人生で関わった人たち大勢に見送られ喜んでいると思う。 母親の死でひどく気落ちした我が夫だったが、思いがけず弟と妹に会えたことは嬉しいようだ。控えめながら常にひとり息子(我が夫)のことを心配していた義母だったので、これも義母の小さなはからいかもしれない。もうすぐ一周忌。 今年は私もバンコクにお参りに行こうと思う。
タイの葬式と医療費
この年末年始は、なんと立て続けに2件のお葬式に参列することになってしまった。タイでお葬式に行ったのは在島14年目にして初めてである。
最初のお葬式はクリスマス前。友人(タイ人)の旦那さん(イギリス人)が亡くなった。世界を飛び回る忙しい旦那さんだったが、やっとリタイアして奥さんとのんびりし始めた矢先。体調に異変が起きて
からわずか1ヶ月だったという。
次のお葬式は年明け間もなく。14年来の知人の奥さん(タイ人)が永眠された。ICUに入院中の1年半、ほとんど意識はなかったという。先のイギリス紳士の訃報を知らせてくれたのが、この知人だっ
たのがなんとも切ない。
タイのお葬式は想像通り、あまり形式ばったものではなく、和やかな雰囲気さえ漂っていた。お焼香はお線香で、懐かしい顔も多く、軽食をいただきながら話がはずんだりした。イギリス紳士の葬儀には、管弦楽団やロックバンドが日替わりで演奏に来た。音楽好きな旦那さんのために奥さんが手配したものだ。
年明けの葬儀のほうは、地元の有力者なだけあって寺院内の会場は溢れんばかりの人で埋まった。最愛の奥さんを亡くしたばかりの知人を見た時はさすがに胸がつまったが、会場にしんみりした雰囲気はなく、喪主も各テーブルをまわりながらジョークを飛ばすほど。仮設テントの下、読経の時間以外は終始こんな感じだった。
いずれのお葬式でも、私の周りでは医療費がちょっとした話題となった。当事者も開けっぴろげなもので、イギリス紳士の奥さんは1ヶ月でいくらかかったかその驚愕の内訳について力説。初老の西洋人夫を持つ奥さんたちは真剣に聞き入っていた。ある人の夫(西洋人)が意識不明で3年以上入院し、お会計がなんと1億円にのぼったという話も飛び出して、みんなで震えた。
祭壇を前に下世話な話で盛り上がるなど不謹慎なようでどきどきしたが、これも自然体でタイらしいのかもしれない。足元では寺犬が寝そべり、夜空には月が浮かぶ。「死」とは日常の延長であるこ
とを再確認した。
最初のお葬式はクリスマス前。友人(タイ人)の旦那さん(イギリス人)が亡くなった。世界を飛び回る忙しい旦那さんだったが、やっとリタイアして奥さんとのんびりし始めた矢先。体調に異変が起きて
からわずか1ヶ月だったという。
次のお葬式は年明け間もなく。14年来の知人の奥さん(タイ人)が永眠された。ICUに入院中の1年半、ほとんど意識はなかったという。先のイギリス紳士の訃報を知らせてくれたのが、この知人だっ
たのがなんとも切ない。
タイのお葬式は想像通り、あまり形式ばったものではなく、和やかな雰囲気さえ漂っていた。お焼香はお線香で、懐かしい顔も多く、軽食をいただきながら話がはずんだりした。イギリス紳士の葬儀には、管弦楽団やロックバンドが日替わりで演奏に来た。音楽好きな旦那さんのために奥さんが手配したものだ。
年明けの葬儀のほうは、地元の有力者なだけあって寺院内の会場は溢れんばかりの人で埋まった。最愛の奥さんを亡くしたばかりの知人を見た時はさすがに胸がつまったが、会場にしんみりした雰囲気はなく、喪主も各テーブルをまわりながらジョークを飛ばすほど。仮設テントの下、読経の時間以外は終始こんな感じだった。
いずれのお葬式でも、私の周りでは医療費がちょっとした話題となった。当事者も開けっぴろげなもので、イギリス紳士の奥さんは1ヶ月でいくらかかったかその驚愕の内訳について力説。初老の西洋人夫を持つ奥さんたちは真剣に聞き入っていた。ある人の夫(西洋人)が意識不明で3年以上入院し、お会計がなんと1億円にのぼったという話も飛び出して、みんなで震えた。
祭壇を前に下世話な話で盛り上がるなど不謹慎なようでどきどきしたが、これも自然体でタイらしいのかもしれない。足元では寺犬が寝そべり、夜空には月が浮かぶ。「死」とは日常の延長であるこ
とを再確認した。
2014年2月1日土曜日
タイで新年明けました
2014年が明けた。近年、この時期は千葉の実家で過ごしていたので、南国でのお正月はちょっと新鮮な感じがする。年明け前からあちこちで大きな花火が上がり、遠くのほうでは深夜まで賑やかな音楽が鳴り響く。
タイでは3つの正月があり、春節やソンクラーン(タイ旧暦の正月)に比べると、1月1日の正月は少々地味な感じがした。しかし、観光地だからなのか、年々存在感が増してきているような気がする。
そうはいっても、初詣に行ったり初日の出を拝んだりといった習慣はあまりないようで、他の祝日同様、元日は家族や親しい人たちと外食に行ったりする人が多い感じだ。
私も親しい友人たちと、自然に囲まれた山の上のレストランに行ってきた。
急勾配の坂を登ったところにあるこのレストランは、我が家の目の前の山の中腹にある。密林の中にポツンとたたずむ様子は、どこもかしこも開発が進むプーケットでは新鮮な感じだ。
まさにタイ人の嗜好に合っているせいか、店内はローカルのお客さんでいっぱいだった。みんな我々同様、観光客で溢れかえる海辺のレストランを避けてきたようだ。
ここの料理はごく一般的なタイ料理で、メニューはタイ語のみだし団体客もいない。
世界有数のビーチリゾート地では、案外こんな風に、山の中の素朴な場所でのんびりするのが非日常だったりする。昼間からタイ料理をつまみにビールを飲んでいた我々だが、少しだけ日本語のボリュームを下げて、タイ人をみならいゆったり穏やかに元日の午後を日没まで楽しんだ。
平和でのどかで実に良い元日だった。
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